大地の歴史

現在の地形

 洞爺湖(図01)は、約11万年前(10万6千年前)頃に発生した巨大な噴火により形成された、東西約11km、南北約9~10kmのカルデラ湖である。この噴火で噴出した膨大な火砕流(かさいりゅう)堆積物(洞爺火砕流堆積物)は、洞爺湖の北西および南東に広大な台地を形成している。洞爺湖にはソウベツ川などいくつかの河川が流入するとともに、南岸からは壮瞥(そうべつ)(がわ)が流出している。ソウベツ川は延長11kmと長くはないものの、中流右岸(北側)に分布する洞爺火砕流堆積物基底の湧水群から供給される豊富な水により財田(たからだ)扇状地を作っている(図02)。洞爺湖の湖岸線は完全な円形ではなく、財田地区など河川が洞爺湖に流入する場所に形成された扇状地や、(つき)(うら)(あさひ)(うら)など地すべり地形が存在する場所では、湖岸線はやや凹凸のある円形となっている。湖岸に沿っては明瞭な湖岸段丘が存在している。

図01
図02

洞爺カルデラ噴火以前~カルデラ噴火期

 洞爺湖はその誕生以来、火山活動や斜面変動、地形の浸食などにより少しずつその形を変え、現在に至っている。洞爺湖の基本的な形が生まれたのは、約11万年前のカルデラ噴火による。その直前に洞爺湖周辺がどのような地形をしていたかは明らかではない。地形地質的な状況からは、洞爺湖の東岸で新第三紀に噴出した火山岩(図03)やその堆積物がゆるやかな丘陵を成し、その分布高度上限は西へむかってゆるやかに下がること、洞爺湖岸のカルデラ壁にはカルデラ噴火に先立つ溶岩など火山体の存在を示す地質が露出しないことから、カルデラ噴火前に大型の成層火山体は存在しなかったと推定される。また、約11万年前の洞爺カルデラの噴火初期はマグマ水蒸気噴火が卓越していたことが、Goto et al.(2018)などの研究からわかっている。これは地表ないし地下浅部に豊富な水が存在していたことを示し、分布範囲など詳細は不明ながらも、湖などなんらかの水域が存在していたと推定される。洞爺火砕流堆積物の直下には給源不明ながらも洞爺湖周辺に広く分布する長流(おさる)(がわ)火砕流堆積物が認められ(図04)、湖水はこの火砕流の噴出に伴うカルデラにたまったものかもしれない。

図03
図04

洞爺カルデラ噴火直後~中島・有珠火山形成前

 カルデラ噴火後、カルデラ壁は地すべりなどの斜面変動や浸食により徐々に外側へと後退し、巨大な窪地は次第に湖水で満たされていった。洞爺町(とうやまち)市街地周辺や洞爺湖町月浦、旭浦などで認められる古い地すべりおよびそれらが浸食された馬蹄形凹地はこの時期に形成されたと推定される。洞爺湖の東南~北~南西の湖岸沖合には水深40~80mに顕著な緩傾斜面が存在し、特に北側湖底では水深55~80mの広い平坦面となっている。これらの多くは洞爺湖岸の地すべり地形や扇状地・山麓緩斜面、河川の沖合に位置しており、湖にもたらされた土砂が現在よりも40~80m低かった湖の湖岸や浅い湖底で堆積したものだろう(なお、洞爺湖南側湖底(有珠山北麓~中島)にかけても水深50~60mの平坦面が同様に存在するが、中島や有珠山の火山活動の影響による可能性もありその成因は明らかではない)。ボーリングデータによればソウベツ川の地下には深さ30m以上の埋没(まいぼつ)(こく)が存在し、その延長は上記の湖底平坦面に連続することから、洞爺湖に注ぐソウベツ川は同じ頃にすでに深い谷を形成していたと推定される。

洞爺カルデラ噴火直後~中島・有珠火山形成前

 4万~4万5千年前にはカルデラ中央で中島火山が形成された。また、約3~2万年前までには有珠火山の成層火山体が形成されはじめる。有珠山形成前、現在の有珠山周辺は広大な砂礫質扇状地~三角州になっていたと推定される(長井ほか,2021)。その後、おそらく有珠火山の成長に伴い洞爺湖から流出する河川が堰き止められたことにより、洞爺湖の水位は急激に上昇しはじめる。カルデラ周縁の地すべり地形やソウベツ川の谷もまた湖水に沈み、入り江となっていた。洞爺湖の湖岸の3段の湖岸段丘(図06,07)の高度(標高140~170m、約130m、100~105m)から、湖水面は最大で現在よりも約90m高くなり、その後、段階的に低下していったと推定される。現在の湖水は壮瞥滝から流出しているが、壮瞥滝~昭和新山付近には標高140~160m程度の地形的鞍部がいくつか認められ、湖水が最高位まで達していた時期にはこれらの鞍部からも流出していた可能も否定できない。

図06
図07

有珠山形成後~現在まで

壮瞥滝を構成する溶結凝灰岩((たき)ノ上(のうえ)火砕流堆積物および壮瞥火砕流堆積物)は湖水流出に伴い次第に下刻(かこく)され、それに伴い湖水面も低下していった。約3万~7千年前には有珠山山頂部から山体崩壊が発生、南西山麓に善光寺(ぜんこうじ)岩屑(がんせつ)なだれ堆積物を堆積させた(年代については藤根ほか,2016;宇井,2017;Goto et al.2019,Nakagawa et al.2022など多くの議論があり未だ確定されていない)。有珠火山付近では、成層火山形成後から江戸時代初期(1663年)まで噴火発生を示す堆積物は認められず、この期間は長い休止期にあったと推定される。洞爺湖付近もおそらく静穏な環境にあったが、洞爺湖北岸には西暦1502-1663年,北西岸には西暦1299年-1478年に枯死・水没した(年代は放射性炭素年代測定および年輪から推定)沈木が認められる(図09)。洞爺湖水面がこの時期に大きく沈下・上昇したことを示すアイヌ民族の言い伝えや地形地質学的根拠はないこと、2つの年代が大きく異なること、いずれの沈木も地すべり地形中に存在することから、これらは湖岸の地すべりにより沈水したと推定される。
 江戸時代以降、有珠山の火山活動再開により、洞爺湖には軽石・火山灰などが降下・流入した。特に1663年噴火(Us-b)に伴う膨大なマグマ水蒸気爆発・水蒸気爆発堆積物は洞爺湖周辺の地表を広く覆った。ややアルカリ性を示し保水性もよいことから洞爺町周辺の広大な耕地に恵みを与える一方で、谷地形内にはUs-bを母材とする土石流・泥流堆積物が認められ、一時的に斜面の不安定化をもたらしていた可能性がある(図08)。

図09
図08
図05
図10
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